German Wine Lover
リタ&ルドルフ・トロッセン醸造所
Weingut Rita & Rudolf Trossen
2014年4月。私は3年ぶりにドイツに舞い戻った。1998年から13年あまりをトリーアで過ごして、2011年8月末日に帰国してからの初めての再訪だった。トリーアで一泊した翌日、モーゼル沿いに走る各駅停車のローカル線はやがてヴィットリヒの駅を過ぎ、トンネルを抜けてユルツィヒの駅に着いた。ボタンを押してドアを開け、無人駅に降り立つと、向こうにルドルフ・トロッセンが立っていた。
彼に会うのも久しぶりだ。毎年10月上旬の週末にトリーアで開催される収穫感謝祭に、トロッセンはビオの醸造所団体オイノスOinosの仲間と、グラスでワインを売る屋台をポルタ・ニグラの前に出していた。彼らの濁り新酒フェーダーヴァイサーは、珍しく頭痛と肩こりにならないので、私は大抵2杯ほど飲んでから、辛口から甘口へと何種類か飲んだものだ。
その朝、駅で私を出迎えてくれたトロッセンは、昔と同じ様子をしていた。悠然と歩いて待たせては悪いと思い駆け寄ると、まぁあわてなさんな、というふうに手のひらを下にして「抑えて、抑えて」という仕草をして笑った。よい一日になりそうだった。
収穫作業者と移動するのにも使うであろうバンの助手席に乗って、しばらく森の中を走る。やがて下り道にさしかかると同時に、周囲にブドウ畑の斜面が広がった。キンハイマー・フベルトゥスライの畑だ。うねるように蛇行するモーゼル川に面したその畑は、山一つ越えところにあるヴェーレナー・ゾンネンウーアと同じ方角を向いているが、ヴェーレンの畑が急峻な絶壁を思わせるのに対して、こちらはずっと長閑な、まるで絵本に出てきそうな雰囲気を漂わせている。橋を越えて川沿いを少しばかり走った先にある、黄色い壁をした家がトロッセン醸造所だった。庭では丁度奥さんのリタが、家庭菜園の世話をしていた。もちろんビオロジックで栽培している。「彼女は料理が上手でね。リタの手料理が、収穫チームの何よりの楽しみなんだ」とルドルフは自慢気に言った。
リタさんとルドルフ・トロッセン氏。
バイオダイナミック農法のパイオニア
1955年生まれのトロッセンは子供の頃から父の農作業を手伝い、すでに12歳で農薬散布を任されていた。しかし、顔や手にかかると発疹やかゆみが絶えない農薬は、好きではなかったという。21歳の時に父がトラクターの事故で急逝し、醸造所を継ぐと同時に、バイオダイナミック農法に切り替えた。ヴァッハウのニコライホーフ醸造所がバイオダイナミック農法に取り組み始めたのは1971年からまもなくで、ロワールのニコラ・ジョリイは1980年代はじめだから、トロッセンがはじめたのは、醸造所としてはかなり早い時期のことだ。
なぜバイオダイナミック農法に切り替えたのか。14歳の頃、世界はこのままで良いのかどうか、強い不安を抱いていたのだという。思春期にあった1960年代後半は、世界的に見ても戦後の復興から高度成長時代へと向かい、学生運動が盛んだった時期だ。東西冷戦、キューバ革命、ヒッピー運動、文化大革命、プラハの春、ベトナム戦争、黒人人権運動を背景に、若者達は旧体制の打破を目指しつつ、新しい自由を謳歌していた。そんな時代の中で、14歳のトロッセンは、世界はこれからどうなるのか、どうしたら良いのか意見を求めて回った。その答えを彼は、友人から教わったルドルフ・シュタイナーの人智学に見出したのだそうだ。
バイオダイナミック農法とは
人智学については私も詳しくはないのだが、ゲーテの自然観をシュタイナーが発展させた神秘主義的思想である。独特な歴史観を持ち、史料も遺跡もない過去の文明を霊視したり、高位の霊的存在や霊的認識を獲得したりするための修行法などが語られている。エーテル体とかアストラル体とか、現代の科学では証明出来ない内容だが、教育や医療で一定の評価を受けている面もあり、似非科学として頭ごなしに否定するべきものでもないように思われる。
シュタイナーの『農業講座』に目を通したことがあるが、地上の動植物を構成する元素と太陽系の惑星との関連が、独特の観点から詳細に述べられていて、煙にまかれたような感じもあったが、シュタイナーにはこうしたことが直感的に見えていたようだ。シュタイナーの思想に関しては、高橋巌氏やコリン・ウィルソンの著作が参考になる。
バイオダイナミック農法は、雌牛の角に牛糞や水晶の粉を詰めて地中に埋めて、天体のエネルギーを吸収させた調剤を、ホメオパシー的に、化学的にはほとんど効果が無いほどまでに水で希釈して、何度も向きを変えながらかき混ぜ、天体の配置が、根、葉、花、実の発達を助ける時期を見計らって散布するという、近代以前の民間信仰的な手法をとるので、家族の理解がなければ採用は難しい。トロッセンの場合は父親が早くに亡くなったため、栽培と醸造は全て自分の判断で決める事が出来た。母と、当時結婚したばかりだった妻のリタは、経理、販売、事務を引き受けてサポートした。
もっとも、バイオダイナミックでなくてもビオの場合、村単位で斜面全体を定期的に行うヘリコプターによる農薬散布から、自分の所有する区画だけ外してもらわねばならない。しかしそれは、村の取り決めに一人で反抗することになる。その結果待っているのは、村八分といやがらせというおきまりのコースなのだが、トロッセンはそのあたりの調整をうまくやって合意をとりつけたらしい。詩人であるだけでなく、彼は知的で文章も達者だ。醸造所のサイトでいくつかの原稿を読む事が出来る。http://trossenwein.de/
目指すのは「ふるさとのワイン」
トロッセンは人智学からバイオダイナミック農法に入り、合成肥料や除草剤を用いた効率重視の農業に反抗して、ブドウ畑の土と太陽の味がする「ふるさとのワイン」を目指してきた。そして2010年から亜硫酸無添加のリースリングを造り始めた。ブドウ畑だけでなく、醸造過程でも一切の化学物質を排除したことで、彼のワインは一層個性的になった。飲み慣れないと酸化気味で、雑味が多いと感じるかもしれないが、自然な素朴さがあって、ブドウ畑の収穫の質がそのままワインに現れる。
かつて辛口ワインは、甘味という化粧を落とした素顔に例えられたが、亜硫酸無添加のリースリングには、文明を知らない野性を感じさせるところがある。手を加えないでそのまま立ち現れた味わいで、土から掘り起こした野菜をそのままかじっているような印象。洗練されてはいないが、素材本来の持つ豊かな味わいが感じられる。
もともと彼は、そんなワインを造る気はなかったそうなのだが、トロッセンの甘口を扱うインポーターがデンマークにいた。その経営者がナチュラルワイン・フリークで、トロッセンを招いて試飲会を行った際に、色々な亜硫酸無添加ワインを飲ませたのだそうだ。その手のワインは、大抵は小規模な生産者が、自分の飲みたいワインを手仕事で造っていることが多かった。バイオダイナミック農法を畑で実践する生産者に多く、1990年代にパリの専門店で注目されはじめ、近年は大規模な試飲会が、ロンドンやフランス、イタリア、ドイツ、オーストリアなどでも開催されている。亜硫酸をまったく使わないか、添加量を極端に制限していることもあって、非常にデリケートなだけでなく、目の覚めるような美しさを感じるものから、二度と口にしたくないようなものまで玉石混淆で、良くも悪しくも手作りワインの世界である。
そんな奇妙な、先祖返りしたようなワインに最初は抵抗を感じていたトロッセンも、飲んでいるうちだんだん魅力を感じてきたのだそうだ。ビールを最初は苦いと思っていても、飲み慣れると美味しく感じるようなものだろうか。フランスのナチュラルワインの試飲会で経験を重ねてますますハマり、アルザスのピエール・フリックを訪問したのが決定打になった。家族で食事を楽しみながらワインを飲んだのだが、あれほど素晴らしいワインを自分でも造ってみたい、と思ったそうだ。2010年のことだ。
それから4年後に醸造所を訪問した私の前には、5種類の亜硫酸無添加リースリングが並んでいた。
モーゼルのナチュラルワイン
トロッセンが容量25ℓのガラスバルーン1個で試験場造をしたのが2010年産で、本格的にリリースをはじめたのが2011年産だから、私が知らなくて当然だ。わずか2.5haの、ほぼ無名のブドウ畑でワイン造りをしている家族経営の小規模生産者が、少量リリースしただけのワインが、なぜ早々に日本に入ってくることになったのか。これまた考えてみれば不思議なことであるが、それは半ば必然でもあり、同時に偶然でもあった。
㈱ラシーヌというインポーターがいる。フランスとイタリアのナチュラルワインを中心に扱っているが、眼鏡にかなえばドイツ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ジョージア、クロアチアなどのワインも紹介している。毎年足繁く現地に通い大規模な試飲会へ赴いて、これはと思う生産者があれば醸造所へ行って試飲し、ブドウ畑を見てから扱いを決める。
さて、㈱ラシーヌ代表の合田さんが、2013年にロワールの取引先の生産者シリル・モワンを訪問した時、試飲室の一画にドイツ語のエチケットを見つけた。それはモーゼルの、それも亜硫酸無添加で醸造するリースリングだと聞いて、彼女はとりもなおさず、ロワールからモーゼルへ向かった。2012年から新たにドイツとオーストリアの取り扱いを開始していたが、ことドイツワインに関しては正直なところ、亜硫酸の添加量が多めなものばかりで、もうちょっと控えてくれたら素晴らしいのに、と思うことも少なくなかったそうだ。そこに亜硫酸無添加のワインが、よもやドイツの、それもモーゼルで造られていようとは夢にも思わなかったことだろう。
実は、ロワールのシリル・モワンを例のデンマークのナチュラルワイン・フリークのインポーター、つまりトロッセンをその道に引き込んだきっかけをつくった張本人が扱っていて、合田さんが見たのは、そのインポーターが置いていったボトルだそうだ。奇跡の出会いのようでいて、実は繋がっていたわけで、世界は狭い。
そうして合田さんは、モーゼルにある小さな醸造所を訪れ、亜硫酸無添加のプールス・シリーズだけでなく、ノーマルな(といっても総亜硫酸量でせいぜい50mg/ℓ前後と控えめに)亜硫酸添加した、フルーティな甘味のあるリースリングも扱うことに決めたという。
亜硫酸のこと
亜硫酸は伝統的に用いられている、醸造には欠かせない物質の一つだ。ただ、添加量が多めだと、ワインはまるでコルセットをはめられたように窮屈で、自然でゆったりとした広がり感や、素直な余韻ののびやかさをいくらか失ってしまう。さらに喉の奥にいがらっぽさを感じたり、人によっては少量でも頭痛と肩こりを感じたりする人もいる。逆に添加を極端に控えると、瓶内で予期せぬ微生物の活動が起こり、二次発酵を起こしたり、普通のワインにはない匂いがついていたり(馬小屋、湿った段ボール、沢庵の匂いなど)する。さらに酸化も進みやすくなるので、流通過程での温度管理を厳しくしないと劣化するデリケートなワインになる。果実味も若干酸化気味に感じることが多く、普通のワインとはひと味違う。だが、そうしたワインをある程度飲み慣れると、亜硫酸を常識的に添加したワインの方が型にはめられたような、清掃の行き届いたモデルルームのような、整いすぎている印象を受けるようになる。亜硫酸無添加か使用を極端に控えたワインは、言ってみれば、ちょっと雑然としていて、テーブルクロスやソファは使い込まれているけれど、それがかえって良い味を出していて居心地が良い居間のような感じだ。肩肘張らずに楽しめる。ただ、人によって感じ方は違ってくるだろう。
トロッセンのセラー。
瓶詰めに使うシュワッペルンSchwappernといいう器具。黒いボールは錘になっていて、樽に接続した状態だと管は上向きに立ち上がる。そこに瓶を差し込んで手前に傾けるとワインが流出する仕組み。
トロッセンのワイン造り
トロッセンでは亜硫酸無添加ワイン以外も造っているが、2020年12月に聞いたところ、生産の約7割が亜硫酸無添加だそうだ。父から継いだ時から変わっていない、2.5haのブドウ畑から約5種類のプールスPurusシリーズの他に、ノーマルワインとして、繊細な辛口リースリングのシーファーブルーメSchieferblume、素直な果実味が心地よい、ファインヘルブのジルバーモンドSilbermondなどを造っている。また、これらのリースリング以外にもシュペートブルグンダーとドルンフェルダーを少々造っている。
収穫後ブドウは破砕され2時間ほどマセレーションした後、圧搾して清澄・発酵する。ここまでは亜硫酸無添加バージョンもノーマルバージョンも変わらない。収穫翌年5月までに一部をノーマルバージョンとして瓶詰めして、残りを蓋の位置を移動して密封することが可能なステンレスタンクに移す。これが亜硫酸無添加のプールス・シリーズになる。注文に応じて必要なだけ、その都度手作業で瓶詰めするそうで、それには古めかしい器具を使っている。タンクの口に片方を取り付け、細い管の先に瓶を差し込み、手前に倒すとワインが流れ込む。フィルターは通さない。ボトルはゼクト用の耐圧ボトルで、王冠で封をして出来上がりだ。収穫目前の10月にはタンクを空にするというが、タンク内では細かい澱と一緒に熟成するので、瓶詰め時期によって味が変わってきて、遅くなるほどしなやかになるという。
繊細でほっそりとしたシーファーブルーメは、粘板岩土壌にひっそりと咲く白い花をイメージした名前。トロッセンのハウスワインに相当する。ジルバーモンドはモーゼルのリースリングには珍しく乳酸発酵しており、それは自然に始まったという。粘板岩に月の光が反射して銀色に輝く様子が、友達と一緒にこのワインを飲んでいた時にふと思い浮かんで命名したそうだ。口の中で広がるやさしい果実味は、確かに月の光のようにひっそりと輝いていた。
2013年産が初リリースとなるオイレ・プールスEule Pulusのオイレは、フクロウの意味だが、昔の畑名オイレンライEulenlayから名付けたという。いかにも亜硫酸無添加の、少し野性的で未完成な感じのするワインで、それはまさに私がトリーアで、手で絞ったリースリングの果汁をボトルに入れて、実験がてら数年放置したワインを思い出させた。あれは発酵中で泡立っている時は、そこそこ美味しかったが、発酵が終わって澱が底に沈殿して褐色になってからは、酵母の香りと酸化臭とヴィネガーのような酸味(実際ワインヴィネガーだったのかもしれない)で、飲めないこともなかったが、あまり美味しくなかった。帰国前、長年住み慣れたアパートを撤収する前に、その亜硫酸無添加室温3年位熟成のそれを全部飲み干した。私の連れは呆れていたが。
オイレ・プールスは、私の駄作よりもずっと上出来だったことは言うまでも無い。それにしても、亜硫酸を添加すればノーマルのシーファーブルーメのような、澄んだ果実味の綺麗なワインに仕上がるのが、亜硫酸を添加しないとここまで野趣に富んだワインになるのが面白かった。亜硫酸の効果は大きい。
オイレ・プールスの次はムッケロッホ・プールスMuckeloch Purusであった。キンハイマー・ローゼンベルクの畑の、昔の区画名ムッケロッホの収穫で、東向きの急斜面の若干赤味を帯びた粘板岩が混じる土壌で、収穫はオイレよりも熟して、ワインは力強い。3年目のバリック50%、ステンレスタンク50%で醸造したものをブレンドした実験作。微妙な酸化とともに、樽、果梗、果皮、種から滲出するフェノールを意識して醸造したという。
バリック樽を使ったのは、適度に酸化させつつ醸造するためだ。ステンレスタンクで、空気の流通を遮断した状態で発酵させた場合、フレッシュ&フルーティに、華やかな果実のアロマを生かす事が出来るが、これだと抜栓直後こそ魅力的でも、マルクス・モリトールの言葉を借りれば「あたかも酸素に飢えていたかのように」酸化が進み、香味が落ちるのもはやい。一方、酸化的醸造を行った場合、木樽で既にゆるやかな酸化を経ているので、抜栓後も変化が少なく、2~3日目の方が美味しいこともままある。
出来上がってからカナダのワイン商と一緒に、バリックで仕立てたものとステンレスタンクで仕立てたものを飲み比べて、どちらをリリースするか検討した。どちらが良いか二人の意見は一致せず、最後に両方を混ぜてみたところ「これだ!」ということになったそうだ。
樽香はごくわずかで気にならないし、リンゴジュース的な果実味はオイレと似ているが、余韻はより味わい深く柔らかく、一種の旨みが長く残った。
小規模のメリット
ムッケロッホ・プールスMuckeloch Purusの次はピラミデ・プールスPyramide Purusだった。1400平米あまりの小さな区画で、三角形をしているので「ピラミデ」と名付けたそうだ。ブドウはムッケロッホ・プールスよりもさらに熟して91エクスレに達したが、2013年にそこまで熟した収穫を得るのは容易ではなかったという。
「待てるだけ待って、それから一気に収穫した」とトロッセンは言う。「大規模な醸造所だとこうはいかなかっただろうね。去年は暖かく雨が多かったから、傷みの進行が早かったし、果梗がしなびて房がみるみるうちに落ちていった。隣の畑を、とある大手有名醸造所が持っているんだけど、気が付いたら房がないんだ。収穫したのかと思ったけどそうじゃない。みんな地面に落ちてしまったんだな」と言う。「その点、ウチは2.5haと規模が小さいから恵まれているよ。毎年手伝ってくれる仲間達と、あちこちの畑でタイミング良く収穫出来る。しかも彼らは熟練しているから、使える房とそうでない房を瞬時に見分けることができるんだ」という。
また、彼はボトリティス(貴腐菌)のついた房は辛口にも使って問題ないという。「ボトリティスのネガティヴなイメージは、農薬を製造する会社が、商品を売り込むために作り出したのさ。ナチュラルワインに必要なのは完熟したブドウで、ボトリティスが多少混じっていてもそれほど問題じゃない」と言う。「ただ、大事なのは使える黴がついた房と、使えない房をちゃんと見分けること。熟し切っていない房についたボトリティスや、白っぽかったり赤っぽかったりするペニシリン黴がついていたり、湿ったマッシュルームの臭いがする房は捨てなければならない。その房をワインに使えるかどうかを的確に見分けることが必要なんだ」。それが出来るのが、毎年手伝いに来る10人あまりの熟練した親戚やポーランドの収穫作業者で、「リタの美味しい手料理があるから、みんないつもご機嫌」なのだそうだ。「収穫する人の気分は大事だよ。ワインの味わいに影響するから」とも語った。
ちなみに、2012年のピラミデ・プールスは亜硫酸無添加リースリングの魅力を教えてくれたワインだ。それまでも他にエファ・フリッケのSilver crown 2011や、トロッセンのシーファーシュテルン・プールス2011は飲んでいたが、このピラミデは別格だった。雄叫びを上げるがごとく力強く、林檎ジュースのようななよなよしさはなく、彼の他のワインほど繊細で優しくもなく、エンジンのリミッターを外したような勢いの良さとパワーがあった。
ちなみに、プールス・シリーズは、全て完全発酵の辛口で乳酸発酵も行っている。さもなければ亜硫酸無添加で無濾過なので、瓶詰め後に二次発酵が起きたり、乳酸発酵が起こったりして微発泡になってしまう。だからそうしたワインは「生卵を扱うように」丁寧に扱わなければならない、とトロッセンは言う。ブドウ畑では無農薬で化学肥料も使用せず、バイオダイナミック農法でブドウ本来の力を高め、醸造では亜硫酸を含む化学薬品を一切用いないで、フィルターもかけずに手作業で瓶詰めする。「私のワインは全部私が、年代物のヴィルメスプレスプレスで圧搾して、瓶詰めも一本残らず手作業で行った」と言う時の彼は、なんだか誇らしげだった。
試飲したワインのボトル。瓶詰め前なので手書きの識別サイン。
介入せずに見守るワイン造り
「私が造りたいのは、ブドウが育った畑の味がするワインだ」とトロッセンは言う。魅力的ではあるが、どこで造られたのかわからないようなワインではなく、口に含むとそのワインになったブドウが育った畑が思い浮かぶような、素直なワインだ。とりわけ21世紀に入り、培養酵母や逆浸透膜など醸造技術に依存した「フランケンシュタインのような」ワインが増えていることを、トロッセンは憂えている。バイオダイナミック農法で栽培して亜硫酸無添加で造るのは、とことんまで化学物質による介入を回避してテロワールを表現した、彼の言うところの「ふるさとのワイン」を造ろうという試みなのである。彼はそのことを詩に書いている。
「ふるさとのワインとフランケンシュタイン」
ワインの中で二つの世界が出会う:
一方は産地を表現し、
他方は科学技術を結集し
酵母と酵素で
ワインを何者かわからなくしてしまう:
化粧され、白粉をはたかれ、つるりと剃られ。
ワインに土や石の匂いがしたら
そして果実の香りが微かに舞ったら
彼は育った土地を語っているのだ。
まっとうで、伸びやかで、繊細なら、
人はそれを「ふるさとのワイン」と言う
だが新しい醸造技術が駆使され、
砕かれ、凝縮され、香りをつけられ、
けばけばしく着飾り、自己満足に浸り、そのうえ個性に乏しいなら、
人はそれを「フランケンシュタイン」とさえ呼ぶ。
真正性の根源は土壌にある、
それ故に私は土壌を養い、流行に抗う。
ブドウ畑を本当に愛する者は
畑の栄養になるものを選ぶ。
なぜなら土壌は生き生きとして、
腐葉土は絶え間なく効果を発揮して
注いだ愛に応えてくれるので、
一滴一滴が、
純粋な喜びとなる。
(2002年4月)
醸造中は、介入はしないけれども、見守らずにはいられないという。毎日セラーに行って、とりあえず発酵音に耳をすませ、残糖度をチェックして様子を観察する。「子供が熱を出したとき、母親はベッドのそばで体温を測ったり本を読んできかせたりするだろう。あれと同じかな」という。見守って世話をするが、薬で治すのではなく、自然治癒力に任せる。トロッセンのワインが美味しいのは、彼のそうした親心が、惜しみなく注いだ愛情が、ワインを育てたからなのかもしれない。
試飲の後、醸造所の対岸にあるマドンナの畑に向かった。畑のそばの聖母を祀った祠の前で車を降りて、見晴らしのよい畑の斜面を昇る。背中にあたる正午近くの太陽と、地面の暖かさと、粘板岩の間に生える野草の匂いが私を包み込んだ。モーゼルのブドウ畑に立つのは、2011年8月末に帰国して以来のことだった。懐かしさとともに、ようやくまた来られたのだという思いがこみ上げて、私はトロッセンの後ろを歩きながら目頭が熱くなるのを抑えることが出来なかった。深呼吸して息を整え、心の中で「ただいま」とつぶやいた。
モーゼルのブドウ畑は、目の前でおだやかに広がっていた。
醸造所の未来
彼の醸造所は跡継ぎがいない。息子が二人いるのだが、上の息子は金融関係の仕事(州の役人だったか)で要職にあって、今のところそれを捨ててワイン造りをする気はない。下の息子は介護施設で仕事をしているようだが、こちらも既に長いことその仕事をしていて、父の後を継ぐ気はなさそうだという。
2.5haの畑もこれ以上増やすつもりはない。おそらくあと10年は現役だろうけれど、後継者の見込みはないのかと聞くと、一応あるという。WWOOFというオーガニック・ファーミングの国際交流団体があり、世界各国から研修生を受け入れている(http://www.wwoofjapan.com/)。日本からも研修生が来たことがあるそうだ。そこで受け入れた、確かオランダだったかベルギーだったかの研修生が、いつか醸造所を継ぎたいと申し出ているそうだ。口ぶりからすると、真剣に考えている様子だった。実現するかどうかは未知数だが、モーゼルにもう一人、国外出身の醸造家が増える日が来るかもしれない。
リタ・ウント・ルドルフ・トロッセン醸造所
Weingut Rita & Rudolf Trossen
Bahnhofstr.7
54538 Kinheim
Germany
Weingut Rita & Rudolf Trossen (trossenwein.de)
日本での取り扱い:(株)ラシーヌ