German Wine Lover
ヴァッヘンハイムの駅で降り立つと、そこはドイツに多い無人駅の一つだった。待合場所とおぼしきベンチの裏はすぐに道路で、アンドレアス・シューマンはそこで手を振っていた。歩いて醸造所に行くには遠すぎると、車で駅まで迎えに来てくれたのだ。
実際、確かに遠かった。町の裏手にある森に入って急な坂道をしばらく登ると視界が開け、葡萄畑の斜面が目の前に広がっていた。標高350m前後で空気が少しひんやりとして、葡萄畑を囲む森には鳥のさえずりが木霊している。こんな人里離れた山の中に葡萄畑があることが不思議だった。
山の上の洋館
ここに葡萄畑と邸宅が建てられたのは19世紀初め頃というから、フランス革命がドイツに波及してしばらく経った頃のことだ。 ヴァッヘンハイムの市長だったヨハン・ルートヴィヒ・ヴォルフ-現在もJ. L. ヴォルフ醸造所としてアーネスト・ローゼンが運営している醸造所のオーナーだった-が、週末の別荘として建築したとも、葡萄栽培に適した赤い土-雑色砂岩 -がそこにあったからとも言われている。ともあれヨハン・ルートヴィヒはそこにまず2haのゲヴュルツトラミーナーを植えた。標高が高く冷涼で葡萄が熟し にくいので、酸が控えめでアロマティックなこの品種を選んだのだ。
ところが、何年か後にヨハン・ルートヴィヒはポーカーに負けて、せっかく開墾したオーディンスタールの地所をまるごと失ってしまう羽目になった。その時の勝負の行われた部屋は、今もJ. L. ヴォルフ醸造所にあるという。そうしてオーディンスタールを入手したのが同じヴァッヘンハイムの住人のクーン家で、その孫娘がダイデスハイムのゲオルグ・ジーベン・エルベン醸造所Weingut Georg Sieben Erbenに嫁入りした時、婚資として持参したのがオーディンスタールの地所だった。ゲオルグ・ジーベン・エルベンは創業1710年の老舗で、VDP創設当時からのメンバーであり、1992年という比較的早い時期からビオロジックによる葡萄栽培を始めている。現在のオーディンスタールのオーナーが1998年にこの地所を購入した時は、既にビオロジックで栽培していたという。
葡萄樹本来の姿を求めて
葡萄畑は段々畑のように区画が造成されていて、それぞれの区画をシュトゥーフェStufeと呼んでいる。入り口に一番近い右手の区画はシュトゥーフェ・アインツStufe 1だ。アインツとは、ドイツ語の一つ、二つと数える時の「一」を意味するので、シュトゥーフェ・アインツはさしずめ「区画その1」といったところか。
シュトゥーフェ・アインツの0.24haの区画のリースリングは2008年から全く剪定を行っていない。普通は収穫が終わってから翌年の2月頃までに剪定を行い、一定数の枝や新芽を残し、枝葉の伸び方と収穫量をコントロールする。しかしここでは、かれこれ5年間枝は伸び放題に伸びて鳥の巣のようにからまっている。2008年に母枝を一番上の、地面から1m50cmほどの高さに張り渡された針金に巻き付けたっきり、幹から出てくる 下枝を取り除く他は何もしていない。一本の新梢は約2m30cmほど伸び、普通の枝よりも細く見える。その数は非常に多い。
「無剪定栽培では枝を曲げて整えたり葉を除いたりといった手間はかからないんだが」と栽培醸造責任者のアンドレアス・シューマンは言う。「収穫の手間でそれも相殺される。房は葡萄樹一本につき約60~80房とかなり多く、房は小さいが一つ一つの房は粒の間隔が広い。絡まり合った枝の外側に実るので日光が当たって果皮も厚くなり、雨が多くて腐敗が問題になった2013年も、この畑が一番問題が少なかった。斜面の一番下の区画なので成熟も遅く、畑の周辺は森なので鳥の被害を防ぐためにネットをかけて葡萄を守る。葡萄樹としては、鳥に見付けて食べてもらいやすように、枝の外側に房をつけているわけなんだけど」
アンドレアスは続ける。「なぜこんな栽培方法を試しているかって?発想のきっかけは『葡萄樹とは何か』という問いだった。ビオディナミで栽培していて、葡萄樹は自然の中ではどのように成長したのか、ということを考えるようになったんだ。葡萄樹は自然状態では上部が最も強く成長する。何故か?もともと木を伝って伸びる蔓性植物だから。枝の下部ではなく、最上部が伸びていくんだ」と言う。その性質を生かした仕立て方が、この無剪定栽培なのだろう。
「葡萄樹1本に約60房でも、房が非常に小さいので収穫量は上がらない。この手法で年中土壌を耕したりして収穫量を上げる事も出来るが、我々はやらない。土壌の世話といえば草花の種を撒くことで、葡萄樹の成長を草花と競合させて樹勢をコントロールするんだ。
ファルツでは畝の間の緑化は珍しい。この山の上では年間400ℓ前後の雨が降る。誰もが緑化には雨が少なすぎると言うが、ご覧のとおり下草は青々としている。地下水脈もあって給水には問題がない。森と壁に囲まれた区画で以前は灰色黴が繁殖しやすかったが、無剪定栽培に転換してから問題なくなった。
そもそも、ESCAなど葡萄樹の枝の病気の大半は剪定した切り口から感染する。剪定しなければ感染のリスクは当然減る。その他の病気については、他の区画 と同様にメルタウ(うどん粉病)には少量の亜硫酸銅を使う(註:ビオやビオディナミでも少量なら許されている)し、脱脂粉乳やふくらし粉などビオで使う素材も散布する」そうだ。
オーディンスタールではシュトゥーフェ・アインツの栽培が順調なので、ジルヴァーナーの区画Stufe 4を2011年に5列、2012年にもう5列無剪定栽培に切り替えた。ただ収穫量が少ないので他のワインにブレンドされ、例えばシュトゥーフェ・アインツの収穫はリースリング・ブントザントシュタインの一部となる。冷涼な気候を反映して繊細で純粋で、非常に長い余韻が伸び放題になった枝を彷彿とさせる。
ビオディナミを追求する若手醸造家
オーディンスタールの栽培醸造を一人で担うアンドレアス・シューマンは1978年生まれ。採用されたのは2004年のことだ。高校卒業資格を取得した後、兵役代わりの社会貢献として身体障害者施設で障害者達と一緒に葡萄畑の世話をしてワイン造りに魅せられ、そこから醸造の道に入った。ファルツのDr. ダインハート、Dr. ビュルクリン・ヴォルフ、ミュラー・カトワールで実技を学び、ガイゼンハイム大学で理論を学びつつ、ラインヘッセンのヴィットマンで有機栽培の経験を積んだ。
栽培醸造責任者のアンドレアス・シューマン氏。
2004年にシューマンが着任した当時は、19世紀に建築された邸宅は人が住める状態ではなく中身は空っぽでがらんとして、現在醸造施設の入っているセラーに辛うじて電気と水道が通っているという状態だったそうだ。前の所有者は3週間に一度前後やってきては、なるべく手早く作業をすませて帰っていたから、邸宅は長い間人が住んでいなかった。シューマンはたった一人で葡萄畑の世話をしながら、廃墟のような邸宅の地下でワインを造っていたそうだ。
今では邸宅は綺麗に修復されて、オーナー一家もここで生活している。
空気の澄んだ日だと彼方にフランクフルトの高層ビル群が見え、ハイキングルートでも葡萄畑のあたりは絶景ポイントとなっている。森に囲まれた葡萄畑を眺めると、どこかで似たような景色を見た気がした。ラインガウのシュタインベルクの畑からの眺めだ。あそこも高台にあり、彼方にライン川を眺めることが出来る。そしてオーディンスタールには、どこか修道院的な雰囲気がある。周知の通りシュタインベルクの近くにはエーバーバッハ修道院があり、森に囲まれて佇んでいる。オーディンスタールもまた森に囲まれ、人里離れた静けさと落ち着いた雰囲気がある。その気になればここで修道生活もおくれただろう。
醸造所の試飲室からの眺め。ジャケットを着た男はオーナーのトーマス・ヘンゼル氏。庭いじりが趣味。
ビオディナミとアンフォラ
オーディンスタールのワインを個性的にしているのは無剪定栽培の他にあと三つの条件がある。一つはビオディナミ、もう一つはアンフォラによる醸造、そしてさらに亜硫酸無添加醸造だ。
ビオディナミは近年ではそう珍しくもなくなった。VDPの大御所達もいくつも採用しているし、6月にはオーストリアのビオディナミ生産者団体レスペクト Respektに、初めてドイツの醸造所が3軒加盟した。モーゼルのクレメンス・ブッシュ、ラインヘッセンのヴィットマン、ファルツのクリストマンとレープホルツである。レスペクトは2007年にフレッド・ロイマーらを中心とする12のオーストリア各地の醸造所が集まって結成され、当時はスイスで活動して いたアメリカ人コンサルタント、アンドリュー・ロラントの指導で定期的に勉強会を開いていたが、後にドイツのガイゼンハイム大学でビオディナミを研究 していたゲオルグ・マイスナーが指導するようになった。多分、このあたりからドイツとの縁の始まりだろう。
ゲオルグ・マイスナーはオーディンスタールのアンドレアス・シューマンの親友で、今はイタリア北部トレンティーノにあるアロイス・ラゲダーの生産責任者を務めている。そもそもアンドレアスがビオディナミを導入することになるきっかけは、マイスナーの助言だった。2006年6月15日に降った雹でオーディンスタールの葡萄畑も深刻な被害を受けたとき、牛糞を雌牛の角に詰めて冬の間地下に埋め、天体に由来する植物の生長エネルギーを吸収させた製剤-ビオディナミではプレパラートと呼ぶ-と、イラクサを水に浸けて発酵させた液肥を散布するようにとマイスナーは助言したそうだ。そして全滅と思っていたのに平年の 3割前後の量を収穫出来たことから、アンドレアスはビオディナミの効果を確信し、翌年からデメターのセミナーに出席したりして積極的に学んで行った。
しかしアンドレアスはビオディナミやシュタイナーの人智学の「信者」ではなく、こう言っている。「シュタイナーの教えを信じるかって?私にわかるのはプレパラートが機能するということだけで、その仕組みはわからない。キリスト教の信者は助けてくれる者を信じ、人智学者も同様に助けてくれるものを信じていると言う点では同じだ。信仰が役立つならそこに存在理由がある。僕は人智学について語れるほど本を読み込んではいないが、ビオディナミにはよい感触をもっているし、実際とても役立っている」と。オーディンスタールの葡萄畑はもともとビオロジックで栽培されていたこともあり、2008年にはデメターの認証を取得している。
アンフォラ
オーディンスタールのもうひとつの興味深い点は、アンフォラ醸造である。確か2009年にラインガウのペーター・ヤコブ・キューンが始めてから数年は、みんな半信半疑で距離をおいていたようだが、2011年以降、ファルツやバーデン、ラインヘッセンの生産者が試すようになった。
オーディンスタールのアンフォラはスペイン製のティナハで容量180ℓ。スペインの一部で伝統的に醸造に使用されていて、今でもいくつかの醸造所で使っている。トレンティーノのフォラドリと同じタイプのティナハだが、フォラドリが床の上に立てているのに対して、オーディンスタールではグルジア式に屋外の土の中に埋めている。セラーの中に立てておくと、木樽と同様に酸化が進むのだという。醸造所の近くの壁の側の場所を選んだのは安全性を考えてのことだ。草原に目印をつけて埋めておくと、どこからかハイキングに来た人が蓋をあけてゴミを捨てたりするかもしれない。それよりもむしろ醸造所の近くに埋めて、目立たないように板を乗せたそうだ。
2012年の初挑戦の時ティナハで醸造したのはジルヴァーナーだが、収穫して圧搾果汁に果皮と果肉を25%加え、殺菌用に灰を混ぜた粘土でティナハと石の板の間をシールドして密封した。蓋に穴を開けてガラスパイプを通し、発酵で発生した二酸化炭素を逃がすことが多いが、ティナハは壁の気孔か、シールド剤に出来た隙間から二酸化炭素は自然に逃げるのだという。収穫翌年の7月まで二回ほど試飲して様子を見た以外、全く手を付けな かったそうだ。亜硫酸を添加しようかどうか迷ったが、輸出されるかもしれないので一応30mg/Liter 添加。品種はジルヴァーナー、生産量はアンフォラ二つ、フルボトル387本。
2012年産のジルヴァーナーのアンフォラによるワインAmphora Sは、まろやかに口中に広がり、タンニンが果実味に丁度良い案配に溶けこんでいた。厳しさはなく、ゆったりとした穏やかな味わいだが、試飲した時点では余韻に物足りなさを感じた。これはしかし、熟成を経て印象が変わるだろう。
そのほかのワイン
醸造所のラインナップはベーシックなランクが葡萄畑の標高にちなむ『350N.N.』シリーズで、リースリング、ジルヴァーナー、オクセロワ、ゲヴュルツトラミーナー、ヴァイスブルグンダーがある。そのすぐ上がフラッグシップの土壌名前を冠したシリーズで、『バザルト』(Rieslingと Weissburgunderの2種類)、『ブントザントシュタイン』(Riesling)、『コイパー』(Silvaner)がある。いずれも精緻で伸びやかで味わい深いが、土壌名シリーズは収穫量を30hℓ/ha以下に抑えていることもあって、一層深く余韻が長い。醸造はもちろん野生酵母のみで発酵し、発酵速度も酵母任せだ。
そしてこのほかに、上記の『アンフォラ』と亜硫酸無添加の『ノー・サルファー』があるが、どのタンクあるいは樽をノー・サルファーにするかはシューマンの胸先三寸にかかっている。「ワインは分析値で造るものじゃない。直感で決めるんだ」と言う。葡萄畑を熟知し、醸造の勘を働かせて醸造する彼のワインは、間違いなく丁寧な手仕事から造られている。
2004年に葡萄畑を引き継ぐ時、前の所有者は「ここは冷涼すぎて葡萄が完熟しないから、 ラントヴァインしか出来ないよ」と言ったそうだ。ラントヴァインとは高品質ワイン(クヴァリテーツヴァイン)の下のカテゴリーで、必須とされる果汁糖度も一段低い。温暖化した今ではクヴァリテーツヴァインでも容易にクリア出来る程度の基準なのだが、それにもなかなか到達しない、という意味だったのだろう。だが、シューマンは「私が来たからにはもう大丈夫。必ず完熟させてみせる」と、大見得を切って言い返したそうだ。
しかし実際には、言われた通り容易ではなかった。2013年のジルヴァーナーの収穫は11月14日とかなり遅くにずれ込み、選果でも相当苦労したという。それでも、その日試飲した彼のワインには素晴らしい魅力があった。いや、それだからというべきか。ワイルドでありながら極めて繊細で、奥深くニュアンスに富んだワインだった。デンマークの今はなきレストランNomaが得意先の一つだったというのも頷ける。ドイツのヴァン・ナチュールに興味があれば、ここから始めるのも良いかもしれない。
(2014.4月)