top of page

ドイツワイン・格付けの現状

1. 1971年のドイツワイン法

 

 

 

ドイツワインの格付けは、現在も基本的には1971年のドイツワイン法に基づいている。

 

1971年といえば第二次大戦後の高度経済成長に湧いていた時代で、ドイツでは甘口ワインがプチ贅沢としてブームになっていた。従来は果樹園だったり農地だったりした土地に、栽培条件を選ばずどんな場所でもよく育ちよく熟す交配品種を植えて、肥料や農薬をしっかり使って収穫すれば、それはよい値で売れたのである。

 

1971年のドイツワイン法には、作成された時代が反映されている。

一つは果汁糖度に基づく格付けである。それまではシュペートレーゼは文字通り遅摘みした葡萄で醸造したワインで、アウスレーゼは房を選りすぐったワインだったし、カビネットは酒庫(カビネット)にしまっておくべきとっておきのワインだった。それを1971年のドイツワイン法では、一定の果汁糖度をクリアすることで肩書きを名乗るようになった。そして補糖(シャプタリゼーション)するものをクヴァリテーツヴァイン・ベシュティムター・アンバウゲビートQualitätswein bestimmter Anbaugebiet (特定生産地域の高品質ワイン)、しないもの、つまり収穫時の果汁のみで醸造したものをクヴァリテーツヴァイン・ミット・プレディカートQualitätswein mit Prädikat(肩書き付き高品質ワイン)として分けて、後者を前者よりも高品質とした。

 

確かに1980年代までは完熟する年は10年に2, 3回で、2年くらいはシュペートレーゼが出来ないくらい寒い年があった。だから果汁糖度で格付けするという考え方も、それなりに筋が通っていたし、何より数値で明確な基準を設定したのは画期的なことだった。ただし、そこにはヘクタールあたりの収穫量の上限が無いに等しく、また新しく出回り始めた早熟で量がとれる交配品種を使えば、品質は二の次にして高い格付けのワインを造ることが出来た。

 

図1. 1971年のワイン法に基づく格付け

1971年のドイツワイン法のもう一つのポイントは、単一畑の統合削減と総合畑の設置である。約25,000あった単一畑は近隣の有名な単一畑に統合されて2,643に、つまり約10分の1にまで減らされた。一方で総合畑とも集合畑とも訳されるグロースラーゲが創設された。これは複数の単一畑(アインツェルラーゲEinzellage)を統合して有名な畑と似た名前をつけたもので、一つのグロースラーゲは数百ヘクタールに及ぶことが多い。そして一般の消費者には単一畑と総合畑の区別はつかない。例えばピースポータ-・ゴルトトロプヒェンは約50haの南西から南向き急斜面の粘板岩土壌の銘酒を産する葡萄畑だが、ピースポーター・ミヒェルスベルクは周辺の複数の村と平地や森の中の葡萄畑を含む1375haの広大な範囲で、栽培条件はばらばらである。

 

図2. ピースポーター・ゴルトトロプヒェン(上)とピースポーター・ミヒェルスベルク(下)。http://www.weinlagen-info.de/

2. ドイツワインの辛口化

 

 

 

さて、以上が1971年のドイツワイン法の概要だが、1985年のオーストリアワインに端を発する不凍液混入事件で甘口ワインの信用が失墜した後、格付け制度の見直しが議論されたものの、当時は施行されてまだ6年目だったこともあり、時期尚早として改正は見送られた。その代わり1990年代以降何度か手直しが入った。その代表的な例が2000年に施行された「クラシック」(Classic)、「セレクション」(Selection)の呼称の導入である。どちらも生産地域で伝統的に栽培されている品種を原料とし、前者は様々な料理にあう調和のとれた中辛口、後者が単一畑からの高品質な辛口というコンセプトで、収穫時の糖度や残糖値、収穫量の上限なども設定されていた。だが、クラシックはある程度生産されたがセレクションを見かけることは希で、ほとんど浸透しなかった。でもこうした規格が制定されること自体、ドイツワインの辛口化と消費スタイルの変化、つまり単独で楽しむものから食事にあわせて飲まれるようになったことを反映していたのである。

 

その変化の背景は言わずと知れた温暖化と赤ワインブームである。温暖化については1989年以降、葡萄が完熟しなかった年は一つも無いという。完熟が容易だった年と、完熟を忍耐強く待ち、厳しい選果を行わなければならなかった年の差はあるが、いずれにしても80年代までのように未熟なまま終わる年はなくなった。赤ワインブームついては周知の通り、1992年の北米のテレビ番組で紹介されたフレンチパラドックスに端を発する世界的なブームだが、これがドイツにも波及して赤ワインの消費が伸び、赤ワイン用葡萄の栽培面積が増えた。赤ワインといえば基本的に辛口で、食事とともに飲むものだ。こうしてドイツでも辛口の需要が増えていったのである。

 

 

 

 

3. 果汁糖度に代わる格付け基準

 

 

 

さて、辛口とオフドライがドイツワインの主流となったことで、1971年の収穫時の果汁糖度を基準にした格付けはほとんど意味を持たなくなった。なぜなら、糖分は発酵でアルコールになるので、収穫時の果汁糖度が低ければシャプタリゼーションして補糖すれば良いだけの話である。強いて言えば果汁糖度が低い状態なら、出来上がるワインのアルコール濃度は低めに留まり軽いスタイルになるし、シュペートレーゼの基準をクリアした果汁なら、相応にアルコール濃度は高く、アロマやエキストラクトの詰まった飲み応えのあるスタイルになっていることはある。確かに差はあるが、スタイルの差であって品質の違いではない。

 

そこで意味を持ってくるのはブルゴーニュ式の葡萄畑の格付けで、呼称範囲が狭くなるほど収穫量を絞り込んで品質を上げるというシステムだ。ドイツではファルツのDr. ビュルクリン・ヴォルフが90年代半ばにいち早く採用し、やがて2002年からVDPドイツプレディカーツヴァイン連盟が「グローセス・ゲヴェクス」と称するグラン・クリュの辛口をリリースしはじめた。VDPとはドイツ全国で約200のトップクラスの生産者が結成する醸造所団体で、団体としての規模はそれほど大きくはないが、業界での存在感はとても大きい。そしてVDPの先手を打つようにして1999年からラインガウ葡萄生産者連盟が、ガイゼンハイム大学に依頼して制定した葡萄畑の格付けをもとに「エアステス・ゲヴェクス」と称するグラン・クリュの辛口をリリース。ドイツワインの実質的な品質の基準は果汁糖度から葡萄畑へ、エクスレからテロワールへと移行したのである。

 

最初はグラン・クリュの辛口のみだったVDPの格付けは、やがてエントリーレヴェル、ミドルレンジ、フラッグシップのピラミッド型を形成。現在はエントリーレヴェルは「グーツヴァイン」で地理的呼称なし、ミドルレンジはブルゴーニュのヴィラージュに相当する「オルツヴァイン」、フラッグシップはグラン・クリュの「グローセ・ラーゲ」だが、生産地域によってはプルミエ・クリュに相当する「エアステ・ラーゲ」が設定され、甘口の場合のみシュペートレーゼやアウスレーゼといった肩書きを名乗ることになっている。

 

 

図3. VDPの格付けモデル(VDPの格付け説明資料から抜粋)

もっとも、VDPの格付けシステムはドイツワイン法とは関係のない自主的なものであり、加盟醸造所の間でも細かいところは議論が続いているが、大枠は立ち上げから15年を経て定着しつつある。また、一般の醸造所の中にもVDPに倣った商品構成をとるところもある。

 

これとは別に、EUの地理的呼称保護制度が2009年8月に発効したことで、ドイツワインにも地理的表示保護(g.g.A.)と原産地保護(g.A.)が導入されたが、実際的な意味はない。というのは1971年のドイツワイン法のラントヴァインを地理的呼称保護ワイン、クヴァリテーツヴァイン以上を原産地呼称保護ワインとしたうえで、それぞれのロゴのエティケットへの表記を任意としたためである。つまり、ドイツワイン法自体はほとんど変更されず(ターフェルヴァインの用語だけ廃止された)、加わった呼称を明記する必要もないことになった。

 

 

図4. ドイツワイン法とEUの地理的呼称保護制度

以上がドイツワインの格付けの現状である。公に定められた1971年のドイツワイン法が基盤になっているが、その枠組みの中で、特に辛口系のワインについては葡萄畑の個性とともに土壌のタイプによるワインの違いが各生産地域で詳細に調査されている。果汁糖度による格付けは意味を失ってはいないにしても、以前ほど重要ではなくなった。それよりも葡萄畑であり、さらには葡萄畑の中の特別な区画であったり古木であったりするのだが、それを生かすも殺すも生産者次第であることは、今も昔も変わらない。

 

2016年3月

bottom of page