German Wine Lover
開墾にちなんだ葡萄畑
ワイン村の歴史にとって最も重要な出来事として、開墾による葡萄畑の拡張があげられる。苦労して森、湿地、いばらの茂みや荒れ地を葡萄畑へと作り替えていった村人達の記憶が、葡萄畑の名前に刻まれているのだ。中でももっとも古いものにピヒターPichterという畑名がある(メーリング、ニーダーエンメル、ミンハイム、ヴェーレン、ユルツィヒなど)。「収益をもたらすもの」という意味のラテン語Petituraから導かれたその語は、その土地が開墾すべく領主から貸与された所領であったことを示している。
ピヒターに類似した畑名としてはプレンターPlenter、プレンテルPlentel、プランテルトPlantertなどがあり、新たに植えることを意味するラテン語plantariumから導かれている。ノイベルクNeubergすなわち新山という畑名(エンキルヒ)や、アルテンベルクAltenbergすなわち古い山という畑名(トリアー、クレッテナハ、オーバーエンメル、フィルツェン、カンツェム)もまた開墾に由来する。
開墾Rodungから派生した畑名にはその他ローテルトRotert(ノイマーゲン)、ロートライRotlay(トリアー)、イム・レットゲンIm Roettgen(ヴィニンゲン、ギュルス)、イム・レーダーIm Reder(ユルツィヒ)などが挙げられる。ぱっと見には分からないが、サングSang(アイテルスバッハ)、フォーゲルサングVogelsang(ゼーリヒ、キルシュ)もまた開墾に由来した畑名だ。サングはドイツ語の「センゲンsengen(焦がす)」に由来しており、森を焼き払って畑にしたことにちなんでいる。センゲンはジンゲン(歌う)と似ていることから、フォーゲルサング(鳥のさえずり)という畑名が生まれた。
その他、バッテリーベルクBatteriberg(エンキルヒ)も、シーファーの岸壁に発破をかけて開墾したことから、バッテリー(砲兵隊)の山と名付けられた。
ドイツの葡萄畑で最も有名なヴィルティンゲンのシャルツホーフベルクScharzhofbergもまた、その名を開墾に由来している。1314年の古文書に"in monte ibidem vulgariter nuncpato Schayrt(住民にShayrtと呼ばれる同山にて)"という記載があるのだが、Shayrtはモーゼルロマン語のscartisすなわち「開墾において」という意味の語に由来する。同名の畑はフェル、カーゼル、デッツェム、リーザー、エンキルヒなどにもあったが、現在ではヴィルティンゲンに残るのみである。
参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979.