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ピースポーター・ゴルトトロプヒェン

Piesporter Goldtropchen


モーゼルで最も有名な畑ひとつにピースポーター・ゴルトトロプヒェンがある。1837年にモーゼルの歴史家クリスチャン・フォン・シュトラムベルグが、当時の主要なモーゼルの葡萄畑をリストアップしているが、その中にピースポーター・ゴルトトロプヒェンは見あたらないことから、畑名の発祥は19世紀半ば以降と思われる。ゴルトトロプヒェンは『金色の雫』を意味する。それがワインの色から発想されたとしても、一つには上出来のワインをちっぽけな雫と名付けることはワイン農民らしからぬ発想であるのと、いまひとつには『ゴルト』と名の付いた畑はゴルトベルク(金色の山)、ゴルトヴィンゲルト(金色の葡萄園)、ゴルトグルーベ(金色の坑)、ゴルトボイムヒェン(金色の小木)などがあるが、いずれもワインではなく葡萄畑と結びついている点から、ゴルトトロプヒェンの命名は少し変わっている。

そこでより理にかなった説明として考えられるのは、完熟した葡萄に小さな斑点となってあらわれる、貴腐のついた葡萄から得られる金色の雫からイメージされた名前ではないかということだ。正式にはボトリティス・シネレアと呼ばれる貴腐菌は、葡萄にとって敵であると同時に味方でもある。熟し始めたばかりの段階で繁殖すると、灰色カビとして収穫に大きな痛手を与える一方、北国の太陽のもとで完熟した状態のリースリングにつくと、非常に高貴で甘美なワインを造ることができる。ボトリティスは熟した葡萄の果粒を茶色っぽく変色させ、ビロードのように果皮を覆う。葡萄品種にもよるが、60~80エクスレに達していれば、水分の蒸発により干し葡萄のようにしぼみながら半分近くまで重量が落ちる一方で、果実に蓄積された糖分とエキス分の割合は相対的に増える。ボトリティスは成熟過程で果汁の成分を変化させるとともに発酵にも影響を与え、甘口ワインの品質を独特なかたちで向上させるのである。

ゴルトトロプヒェンの畑名が貴腐のついた高貴な葡萄に由来するとすれば、中世以来の教会関係施設-トリアーのザンクト・マキシミン修道院、ザンクト・パウリン教会、ザンクト・アグネーテン修道院、カルトホイザー修道院、司教座聖堂参事会、さらにメットラッハ修道院、キル渓谷のザンクト・トーマス修道院、ヒンメロート修道院とエバーハート隠修修道院、そしてプリュム大修道院など-がこぞって区画を所有したワインの質の高さともうまく結びつく。

ピースポートはローマ時代からフンスリュック山地とヴィットリッヒの渓谷を結ぶ街道の要所で、371年にアウソニウスもその詩に謳っている。
『さて葡萄畑に目を移せば 
バッカスの賜物なる眺めに陶然となることだろう 
急斜面をうねり縁取る荘厳な頂のもと 
急峻な岩壁 陽光あふるる山腹 なだらかにうねる斜面が 
葡萄に彩られ 自然の劇場のように広がっている』(アウソニウス『モゼラ』152-156行)

ピースポートが当時からワインの産地としても重要であったことは、ピヒター、カレル、パルツ、アウレンクンプというラテン語由来の昔の畑名が示している。なかでもアウレンクンプはアウレア・クッパaurea cuppa-黄金の杯に由来しており、今日のゴルトトロプヒェンも、そこから導かれた名前であるのかもしれない。

 

 



参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namenherkunft, Trier 1979
Daniel Deckers (hrsg.), Zur Lage des deutschen Weins, Suttgart 2003

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