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Foto: Roger W., 1968-Zeller Schwarze Katz (Mosel), Flickr, Creative Commons.

ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ

Zeller Schwarze Katz

リープフラウウミルヒと並び、もっともよく知られているドイツワインに、ツェラー・シュヴァルツェ・カッツがある。黒猫がラベルに描かれ、比較的手頃な価格でスーパーの棚に並んでいるそれは、大抵の人が最初に飲むモーゼルワインかもしれない。名前の由来は周知の通り-ワイン商が樽から試飲しようとしたら、黒猫が樽に飛び乗って毛を逆立てて邪魔をしたとか、ワインを腐らせようとした悪魔を黒猫が追い払ったとか-いくつか伝説があるが、その名が本来は、とある醸造所の、猫の額ほどの区画から収穫されたワインに付けられたものだったことは、あまり知られていない。

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1863年、モーゼルが大きく向きを変えた先にあるツェル村の、とある醸造所の中庭の日だまりで、一匹の黒猫が昼寝をしていた。そばを通りがかった女性が猫の頭を軽くなでて、先刻からケラーで試飲の相手をしている弟の様子を見に行った。相手はベルギーとの国境近くにある町、アーヘンから来たワイン商で、仕入れるワインを選びに来たのだ。19世紀半ばのその当時、ワインは樽ごと買い取られてワイン商が瓶詰めし、ラベルを貼るのが普通だった。醸造所の若主人ベネディクト・マインツァーは、ケラーに並んだフーダの樽の一つにホースの一端を差し、反対の端から一息吸い込んでから口をはなした先をグラスへ入れると、そこからワインがほとばしり出た。瓶詰め前のそれはほのかに白く濁っていたが、柑橘の香りが馥郁と立ち上った。

先刻の女性は中庭から続く階段を下り、そっと弟のそばに立った。開け放たれたケラーの扉から、静かに春の風が流れ込んでいた。
「ベニー、どう、商談のすすみ具合は?」
物静かで、人と話すよりも猫と戯れているほうが好きだったベネディクトは、そっと耳打ちする姉のアンナに肩をすくめた。
「あちらさんも商売だからね。気の済むまで試飲させるさ....。」
ワイン商は幾たびもグラスを揺すっては口に含み、時々目を閉じて集中していた。ベネディクトの醸造所はツェルに三つの区画を所有していた。ブルグライ、ペタースボーン、そしてカペルチェンである。葡萄は区画ごとに醸造されたので、樽を選ぶことは区画を選ぶことと同じだった。どの樽をとっても悪くない。しかし、ワイン商はどれか一つに絞らなければならなかった。一通り試飲した後、これは、と思った樽から再び試飲し、その中からさらに気に入ったものを、もう一度試飲して絞り込んでいった。

春風に誘われたのか、中庭にいた黒猫が、いつの間にかケラーに入り込んでいた。ベネディクトの足下をぐるりとまわった後、とある樽の前に立ち止まると、ひょいと樽の上に飛び上がった。それはちょうど、最終的な候補に残っていた樽の一つだった。
「おぅ、おまえもワインの味がわかるのか?」
ワイン商は猫に語りかけた。
「私と同じで、こいつの仕事場もケラーですからね。ネズミを捕まえながら、毎日樽から染み出たワインをなめてるんでしょう。」ベネディクトになでられ、黒猫はゴロゴロと喉をならした。
その様子にようやく決心のついたワイン商は、おもむろに口を開いた。
「よろしい、では、この樽をいただけますか。」
そうして、その年の商談が成立した。

その翌年、アーヘンのワイン商からベネディクトのもとに注文が届いた。
『今年も昨年と同じ区画のワインを購入したいのだが、区画の名前を忘れてしまった。あの黒猫が乗っていた樽なのだが、おわかりだろうか.....?』
「わかるの?」とアンナ。
「ああ。カペルチェンだ」とベネディクト。「わかりやすいし、これからは黒猫-シュヴァルツェ・カッツと呼ぶことにしよう。」

こうして、ツェラー・シュヴァルツェ・カッツが誕生した。当初はベネディクト・マインツァー醸造所が所有するカペルチェンと、数年後にそれに加えて隣接するペタースボーン-どちらもツェルの町の背後の急斜面の上部に広がる区画-からの収穫を『ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ』としてリリースしていたのだが、ワインが評判を呼ぶにつれ、シュヴァルツェ・カッツの名前を勝手に付ける醸造所が現れた。ツェルだけでなく、モーゼルの他の村でも黒猫と名乗るワインが作られ、幾度も裁判沙汰になった。

シュヴァルツェ・カッツは創作名であり、畑名ではないから自由に使用できる、と1926年に一度判決が下ったが、1929年には逆に特定の区画に対する呼称であるというマインツァー醸造所の主張が認められた。ところが、それでも事態は収まらなかった。シュヴァルツェ・カッツの名を使いたいという村の他の醸造所の不満を収拾するため、1932年ツェルの村の背後に広がる葡萄畑全体に名乗る権利を認めることが村議会で議決され、やがて1963年には、さらに村の対岸や山をひとつ隔てた近郊の葡萄畑までもシュヴァルツェ・カッツの名を付けることが認められた。こうして、元来の「最上の区画の樽」の意味は限りなく薄まっていった。

その流れに終止符を打ったのが、1971年のワイン法である。ツェラー・シュヴァルツェ・カッツはグロースラーゲ(総合畑)の呼称となり、複数の村に跨る16のアンツェルラーゲ(単一畑)を含む627haの広さを持つ広大な葡萄畑となってしまったのだ。現在、元祖シュヴァルツェ・カッツの区画は、ツェラー・ペタースボーン=カペルチェンの31haの単一畑の呼称として、その名残を残すのみとなっている。


参考文献:

Karl-Josef Gilles, Der Weinlagename "Zeller Schwarze Katz" (Schriften zur Weingeschichte Nr. 130), Wiesbaden 1999.

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